2010/10/03 (日)

自由の松ーー板垣死すとも!

「アドマティク天国」の影響?ゲゲゲの余韻?
3日の秋日和には多くの散策・行楽の方々が一路深大寺〜神代植物公園へと。私も久しぶり万歩計を付けて昼下がり野川一帯を歩きました。

TVでも紹介されましたが私も隠れ寺として訪れる祇園寺。決して広くはありませんが今回境内奥にこんなもの発見!!

板垣退助がお手植えした「自由の松」。
スクッと天を突くがごとく松の木が。根元の掲示板によると
『明治42年9月12日、時の住職中西悟玄はわが国の自由民権政治確立の為活躍した先輩諸氏の菩提を弔う為この祇園寺にて慰霊祭を挙行。3多摩幹部党員は勿論自由党総裁板垣退助をはじめ領袖ことごとく参集。その数1千余名。その時のお手植えがこの自由の松である』

”板垣死すとも自由の松はすくすくとのびている”と結ばれていました。この一帯を日本の自由民権運動家達が談林風発、闊歩していたのか・・・。

祇園寺は人ごみをよそに今日も静粛な雰囲気が漂っていました。写真:(赤い幹ー祇園寺の自由の松)



彼岸花

曼珠沙華〜〜流しそうめんのように開いた朱色を見ているといつも思い出す原風景があります。

奈良市内から春日山沿いに歩くと新薬師寺・白毫寺への路へ。昭和54年頃はまだ宅地開発などなく、あぜ道に1列にお行儀よく咲いている彼岸花は延々と見通せたものです。

澄んだ高い秋の陽射しに朱色がなぜか『きりきり』と胸に差し込むようで・・・。子育て・仕事と歩み始めたばかりの私の心には”あの朱”はインパクトが強かったのでしょうか。

それから30余年。野川で彼岸花の群れを〜〜
白い彼岸花を初めて見ました。おや何故か『朱色』が気持ちの中でストンと落ち着きました。写真:(彼岸花み〜〜つけた!)


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