2010/10/10 (日)

浅草へ

原画展終了が4時過ぎ(満員で2時間立ちっ放し・・・足が痛いよう・・・)。天気も良いし、よし予定通り浅草へ。

インターネットで調べた「ふきや」という時代物を売りにしている骨董屋へ。連休とあって最高の人出。仲見世通りを速歩で潜り抜け探す探す!!途中聞くと「花やしきの前だよ」と教えてくれました。もう5時廻った。急げ!

ワッ、ここはアメ横と違う。匂いまで「歴史物」が漂う。所狭しと軍服はじめ多々。
「特攻服を探している」というと主は「階級は?」「陸海空軍どこ?」「あ〜〜右翼が街宣する時着る服ね!」ときました。違うちがう。

私が事の始めからゆっくり熱を込めて説明するとやっと8割がた納得してくれたよう。最後に「ともかく写真なりを送っとくれ」と言う事で浅草を去りました。うまくいくといいけどな・・・。
   写真:(日も暮れた浅草寺境内からみた東京スカイツリー)



原画の会場で

品川区民ギャラリーで原画展がありました。
(『漫画展ー中国からの引き揚げ〜少年達の記憶』{日本中国友好協会東京都連合会主催})

お元気になられたちばてつや氏に会いたいのと再度引き揚げ時の漫画家達の原画を見たくて出かけたのです。

トークもありました。引き揚げ時、船内の事、その後漫画家へ道のり等 こんなに語ったのは初めてとご本人も仰ったように実に貴重なお話がありました。涙あり笑いありで。

中国人除集舟さんに助けられなかったら今日がなかった事、6歳にして「屋根裏の漫画家」だった事 配給された"乾パン”を兄弟ケンカしない為、涙ぐましい分配規則を作った事などなど。

初めて日本を目にした時、思った〜〜何と緑の多い美しい色を持つ国だろう!!船内から博多港へ向かう途中の島々をくぐりながら「日本へ帰れたのだ・・・」6歳の少年の脳裏にはそれのみだったそう。  写真:(原画の下でトーク中のちばてつや氏、右は石子順氏)




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