2010/12/02 (木)

最後の紅葉

京都駅の混雑は筆舌し難いほど。こんな観光シーズンに訪れない私は京都は奈良同様『古都』として心に秘めていたい場所なのです。なのに〜〜なのに駅構内での夕食さえ(いや、構内だからこそどこも満席だったのだ。私の判断ミス・・・)汗だくの有様。

せめて立命館大学以学館ホール周辺を歩いた時の最後の紅葉を思い出しながら稔りある日帰り鼎談参加を終わりたいものです。


わだつみ像

昭和25年8月15日 本郷新氏製作の戦没学生記念像「わだつみ像」が完成。紆余曲折後昭和28年11月8日当時の立命館大学総長末川博氏が引き受けを表明。

途中大学紛争で破壊されたりしたが昭和45年再建。衣笠図書館から平成4年国際平和ミュージアムエントランスホールへ。

やっとやっと会えた昔年の想いの魂に〜〜どんなにか生きたかっただろう青年達の心の叫びを”わだつみ像”の前で熱く受け止めた私でした。
写真:(きけ わだつみのこえ わだつみ像)



それぞれの想い

『戦争・対立の時代から平和・共生の時代へ』―みて・かんじて・かんがえて、その一歩をふみだそう―こんなタイトルがつけられ大変飛びつきやすいテーマでした。

ところが東ちづるさんの第一声は「大学内だから若者&学生が大勢参加してるかと思いきや、元学生だった方ばかり・・・」と参加者を見渡しながら仰ったのは苦笑いをかいました。

はるね先生の『わだつみのこえよ永遠に 受け継がれる平和への想い」(UTYテレビ山梨製作)のビデオが流されると場内は涙・・。伯父中村徳郎氏の学徒兵としての無念の死、一高生だったはるね先生の父克郎氏のその後の生き方は兄へのかけがえのない愛ー平和への想い一筋でした。まさしく真摯そのもの。

父の背に突然啓発されたはるね先生は、父上が兄の遺言を守り集められた10万冊に及ぶ蔵書の整理を医者の傍らなさったのです。彼女は「本の整理の大変さは世界平和を願う大変さでもありました」と述べています。

1992年から骨髄バンクのボランティアをはじめた東ちづるさんは今はご承知ドイツ平和村へ何度も足を運び戦争で傷ついた子ども達を引き取り治療・リハビリの後母国へ帰す運動に関わっていらっしゃる。マンパワーとしての自分に何が出来るかと問うた時、少数派の立場に立とう、そして自分を大切に生きる、すると他者がいとおしくなるのだ〜〜と断言。

ちづるさん!TVコメンティータとしての時以上にあなたは毅然と説得力ある自説を述べるんですね!!帰途私はまだまだ〜だと
思い知りましたよ。 写真:(さすが見られる仕事、立ち居振る舞にスキがないちづるさん)



「わだつみ像」生誕60周年

りんご畑で少しゆっくりしすぎましたね・・・。

でもその間 又奔走していましたよ。以前から楽しみにしていた立命館大学平和ミュージアム訪問を11月28日(日)日帰りで。午後からは”「わだつみ像」生誕60周年記念 像と共に未来を守れー”の鼎談に参加してきました。

4〜5年前でしたでしょうか、漫画家のちばてつや先生が『神田さん、あのミュ−ジアムは訪れなさいよ。素晴らしい!』と仰っていました。昨年名誉館長の安斎育郎氏 館長の高杉氏とお出会う機会を得ていつか必ずと願っていました。

折りしも知人の中村はるね先生(女医・わだつみ文庫主宰者)女優でドイツ平和村のボランティア活動ほか多彩な東ちづるさん 安斎名誉館長さんの鼎談を知り、願ってもないチャンス!とばかり早朝の新幹線に飛び乗りました。
   写真:(わだつみ 不戦の誓いーーチラシ)


 





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